WHAT IS
KUROKAWA
黒川とは
阿蘇山の奥地にある黒川温泉郷。雄大な阿蘇の自然に囲まれたその土地は、素朴であたたかな人々によって長い間その姿を変えること無く守られてきました。
黒川温泉発祥の地である地蔵堂、神々の舞を受け継ぐ吉原神楽、荘厳なやまなみ大鼓や阿蘇の草原を何百年も守ってきた野焼きなど、土地の伝統や歴史に寄り添うように暮らしてきた黒川の人々は、日本人らしい自然の神秘への畏敬や感謝の念を大切に守り、次の世代へ伝えようとしています。
HOT SPRING TOWN
黒川温泉街
山腹に何処までも広がる美しい丘陵。風に揺れる見渡す限りの原野。数百年の昔から人々に守られてきた杉林。透き通るような水色の渓流と河川。
その自然のなかに軒を連ねる29軒の温泉宿は、全ての温泉宿で1つの旅館という「黒川温泉一旅館」を掲げ、湧き出る豊かな温泉の恵みを分かち合いながら手を取り合うように暮らし、旅人をもてなしてきました。古より湯治場として賑わってきた温泉街の歴史を感じ、阿蘇の自然が育てる豊富な食材を活かした食事を堪能、旅館ごとに趣きの異なる露天風呂を楽しむ。それが黒川温泉郷の楽しみ方です。
また、黒川温泉郷には、1つの旅館に宿泊しながら全ての旅館の湯を巡ることが出来る『入湯手形』という仕組みがあります。名産のひとつでもある杉の木を利用したこの『入湯手形』を活用して、各旅館の特徴ある温泉をお楽しみください。
HISTORY
黒川の歴史
-
300years ago
黒川温泉の歴史は300年前に遡ります。史書によると江戸時代中期には既に、黒川は湯治の場として評判を得ていました。
大名や旅人が旅の疲れを癒しに立ち寄るのに好立地であり、またある温泉は「傷湯」と呼ばれ、怪我を癒す効果があると信じられていました。現在でも、その温泉は地元の人々により管理・維持され、公共浴場として使用されています。 -
1960s
観光地としての黒川温泉の歴史はより新しいものです。1961年にはたった6つの宿しかありませんでした。 組合は「露天風呂を集めた温泉街」というコンセプトのもと、黒川を宣伝していくことを決めました。
-
1970s
1964年の最初の観光ブームが過ぎ、宿の経営者の世代交代を経た組合は協力して黒川温泉の再興へと動き始めました。
宿はそれぞれ独自の露天風呂を作りました。当時マスメディアは秘境の温泉ブームを作り出しており、黒川の認知度は次第にあがっていきました。 -
1980s
宿の経営者たちは、「露天風呂を集めた温泉街」というコンセプトのもと黒川の宣伝を強化するべく、露天風呂の建設を加速させました。ところが、中には地形の関係で露天風呂を作ることが出来ない旅館が2軒あったため、「黒川温泉の全ての旅館に、独自の個性溢れる露天風呂がある」という謳い文句をつけることが出来なくなってしまいました。 そこで協会は、スタンプラリーとして約13の温泉を巡るツアーを提供していた長野県の野沢温泉からヒントを得て、「入湯手形」を思いついたのでした。
黒川の入湯手形は、地元小国杉の切片から作られており、背面には3つの温泉シールが貼ってあります。この温泉手形を使えば、露天風呂のない旅館に宿泊する観光客でも他の旅館の3つの露天風呂を楽しむ事ができるようになりました。
手形はひとつ1300円で、6ヶ月間有効です。 -
1990s - Today
入湯手形の売り上げは徐々に増加し、未開の地であった黒川は初めて、多くの人に知れ渡ったのでした。黒川の入湯手形はマスメディアを通してますます注目を浴び始め、1992年には87,000個、2000年には100,000個もの売り上げを記録し、2002年には売り上げ最高記録の213,000個にも及びました。
入湯手形の成功により、黒川温泉は西日本で最も有名な温泉の一つに数えられるまでの成長を遂げました。この時の経験を通して組合は、現在の基本理念となっている「『競争』よりも『共存』すること」の重要性を学んだのでした。
入湯手形の売り上げは組合の資金源としても貢献し、黒川温泉の更なる発展のため様々な事業に役立てられました。
LOCATION
& ACCESS
ロケーション、アクセス
黒川温泉郷は熊本県の阿蘇山奥地、九州の北部中心エリアに位置しています。 山間部の為、移動には公共交通機関よりも車かレンタカーの利用が便利です。